どうも!最近尿酸値の高騰を気にして、ビール飲むのをやめてみてるハマちゃんです。
今日はブログを始めたきっかけ
について書いてみようと思います。
この記事を読んで僕がブログを書く理由を理解していただくと同時に、自分も何かに挑戦してみようと思い立つ人
が増えればいいなとそう思っております。
さて、僕は今鮨職人として毎日仕込み営業を繰り返す毎日ですが、6年前(2020年現在)までは普通の会社員として、大手製造メーカーに勤務しておりました。
目次
寿司職人の僕がブログを書く理由(学生時代)
学生時代はひたすらバレーボールに没頭。
小学校2年生から始め、高校3年まではほぼ毎日バレーボールにふれて生活してました。
その経験や活躍もありバレーボールを通じて、企業就職にも行き着く事になります。
小、中、高、社とそれぞれの年代で全国大会なんかに出場しちゃったりしてます!
過去の栄光。。。とは言え高校時代に春高バレーに出場し、あのオレンジコートでバレーができたことは今でもいい思い出です!!
寿司職人の僕がブログを書く理由(製造業勤務時代)
大手金属メーカーに高校卒業後、4年間勤務
しました。
4年間ですので高校卒業後、22歳までです。
この頃はまさか鮨職人を志すとも思っておりませんでした
。
この製造メーカー時代が僕の中では本当に今に活きる期間でした。この時代を経験してなければ今の自分はなかったと思える期間です。
仕事内容にはやりがいを見出すことができませんでした
が、沢山の大人の方に囲まれ社会とはどういうものなのかを知ることができました。
この期間に感じた仕事に対する意識への違和感
が今のチャレンジ精神、行動力につながっていると思います。
寿司職人の僕がブログを書く理由(家業手伝い時代)
この時期は食べること飲むことが大好きだった
事と、両親が自営業で居酒屋を経営
していた事をきっかけに料理人を志して行動し始めの時期です。
会社を辞め、実家の居酒屋を手伝いながら料理について勉強してました。
親に会社を辞めて飲食業をやりたいと言った時は、反対
されました。
当時は家業を手伝う事は考えておらず、専門学校に行く事
を考えていたからです。
父親は中学卒業後相撲業界に入門し、引退後も自力で料理の勉強や開業をやっていたので、専門学校に自分の力をつける環境はない事をわかっていたのでしょう。
そうとも知らない僕は当時の生活の不満
や、甘い自分の考え
を一方的に押し付け、泣きながら我を通そうとしました。しかし、冷静に考えた時に我に帰り反省し考えを改め、家業の一員として手伝わせていただく事となったのです。当時、冷静に反省した際のメモは今でも携帯に残っています
。笑
そんな始まりの家業時代ですが2年程働き、新たな挑戦にとりくみ始めます。
この2年の間にその挑戦をする上でのあるきっかけがありました。
知人の寿司職人の寿司を握る姿を目の前で見た。
一言。ただただカッコよかった。。
僕も寿司を握れるようになろうと一瞬で決意
しました。かと言えどうやったら寿司職人になれるかもわからず、寿司屋とのツテもなく、、
そんな時にfacebookの記事で飲食人大学
をみつけたのです。
時代を感じますね。人生の転機がSNS
だったのですから。。笑
寿司職人の僕がブログを書く理由(飲食人大学に入学)
なんの気もなく、 Facebookを見ていたところ飲食人大学という短期集中型の寿司学校の記事を見つけたのです。
飲食人大学とは、、3ヶ月で寿司職人をそだてあげる寿司職人養成専門学校
です!!
僕はこの学校に通い寿司を学びました。
毎日魚を捌き、毎日シャリを握り、毎日反復練習します。
魚の目利き、魚の下処理、魚の捌き方、寿司の握り方、端材を使ったおつまみの作り方、米の勉強、産地の勉強、実店舗への研修、包丁研ぎ、掃除、寿司屋で働く上で必要最低限+α
上記のようなスキルを3ヶ月間みっちり勉強できるそんな学校です。
僕はその学校の直営店でもある大阪福島の『鮨千陽』
というお店で学校の授業後にアルバイトととして勤務もさせていただいてました。そのご縁もあり学校卒業後もその直営店で勤務させてもらえる事にもなったのです。
寿司職人の僕がブログを書く理由(鮨千陽勤務時代)
飲食人大学卒業後、いいご縁をいただき直営店である鮨千陽
で勤務させていただきました。
入社後、約2年間勤務するのですが、その2年がめちゃくちゃ濃い2年となりました。というのも鮨千陽は開店からたった11ヶ月でミシュランに掲載された鮨屋
なのです。
その実績からホリエモンさんのTwitterでの発言でも話題になりました。そんな当時話題の鮨屋だったので本当に面白い人たちの集まりでした。
元猿回しのお兄さん、バイリンガル女子、元ホステス勤務の女性、バックパッカーなど
本当に個性豊かなメンバーがそれぞれ自分の描く将来に向かって必死に寿司の勉強をしていました。
僕もそのメンバーに感化されながら、ただただひたすら寿司の勉強、接客の勉強、コンテストへの参加、酒の勉強、ワインの勉強等必死に取り組みました。その結果、この鮨千陽で店長
としてお店をまかされる立場を経験させていただけたり、海外出張、海外勤務
等このキャリア、年齢では到底到達できないような経験もさせてもらえました。
寿司職人の僕がブログを書く理由(現在)
現在は鮨千陽での経験を活かし、別店舗で勤務させていただいております。
職人として色んな経験をする中で自分の中での職人としての働き方に疑問
を持つことが多々あります。
それを表現できるかできないか、するかしないか
そんな事を考えるようになりました。
もどかしい気持ちをどうにかしたいと色んな本を読んでみたり、Twitterで色んな事に挑戦している人をフォローしてみたりする中で自分に足りない事が見えてきました。
それは、自信
です。
何をするにも、何を発言するにも、何を伝えるにも自信がなく他人を気にしてばかり。自分のやりたい事をできる人、言いたいことを言える人は自信があるからだと思いました。
その自信がどこからくるか、それを考えると実績
からくるのかなと考えました。
じゃあその実績作るためにどうすればいいか考えました。
実績を作るには行動力と強い意思が必要
だと思いました。
だから僕は他の人がやろうとしない事、できないと思ってること、面倒だからやらない事にチャレンジし実績を作りたい。
そんな想いからまずブログでの発信に挑戦してみようと思い立ったのでした。
寿司職人の僕がブログを書く理由(これから)
そんな僕のこれからの目標ですが、ずばり“寿司を通じて人の人生に影響を与える事”
です。
それは簡単な事ではありませんが、、、可能性はあると思っています。
寿司好きの方や、先人の寿司職人に面白い職人
だと、
寿司嫌い、寿司なんかって人に寿司もいいかも
と、
勉強中の寿司職人にこの人みたいな働き方をしたい
と、
そう思ってもらえるような寿司を握る事はもちろん。活動、行動をしていきます。
自分自身の技術や知識はまだまだです。
だからと言って普通に寿司職人として板前に立つだけでは、いつまで経っても自分の殻を破る事も、先人たちと肩を並べる事もできません。
寿司の可能性を広げるというよりは、自分の可能性を寿司を使って広げていきます
。
これからのハマちゃんの活動にぜひ注目してください!!
では。